1メモリずつ給油

病気で働けなくなったら退職して傷病手当をもらって、少し長引くようなら回復するまで生活保護を使う。症状が固定してしまったなら障害年金を申請して、足りない生活費はできる形での就労で補う。

わたしはソーシャルワーカーなので、困ったときに使える制度はあらかた知っているし、何が経済的に合理的な選択かはわかる。

相談に来た人には、「こういう時のために用意されている制度なのだから、遠慮せず、使えるものは使っていただきたいです」と声をかける。

休職した他部署のひとに対しては「壊れちゃう前にちゃんと休めてよかった」「言い出せて本当にえらい」と思う。

でもわたし自身は「週5勤務の社保あり正社員」にいま必死にしがみついている。わかんない。やれるのかもしれない。出勤してしまえばなんとかかんとか最後まで仕事できるし、ミスもないし、気のせいかもしれない。楽しい日もある。でも最近ほぼ毎日、ガソリンが切れかかった車に1メモリずつ給油してなんとか走ってもらっているような自己イメージできつい。とりあえず1ヶ月くらい夏休みほしい。気のせいだった〜!で吹き飛ばしたい。ちなみにガソリンは甘いものとごはんと漫画です。かき集めてやっと1メモリ。

現職をいまの形で続けること、もしかしたら本当に難しいのかもしれないけど、とりあえずできる限りの工夫をしてから判断したい。一時的なものだったらうれしい。


すでにそこそこ降りてきたつもりだったけど、まだ縛られてるものがあるかもしれない。みんなが降りたやわらかい社会になるといいと思ってても、自分が降りるのはこわくて足が動かない。責任がない人に降りていいんだよって言われても、踏み出すのはひとりきりだと思うと、たしかにこわいね。でも全員に「降りるな」って言われたら、いつかしぬしかなくない? なので自分を棚上げにして(というか保留し続けて)でも、これからもわたしは言います。でもこわいっていう気持ちもわかったから、言い方は考え直そうと思う。