20220327#tanka

あまりにも春すぎて、卒論が手に付かない。

 

 

宿題をやるには今が春すぎて見ているようで見ていない窓

吐瀉物をしらふの足で避け光る朝に初めて友達だった

その目を知っているからこの身体いつだってきみのためにちぎるよ

(笑)付きのかなしみでいいから君の鱗をもっと見せてよ

 

#tanka

ラフ・メイカーを待っている

生活に余白がなくなると段々だめになる。

普段はいわゆる病みツイートは控えているが、だめになると、「いま、だめです」をさまざまに婉曲した表現で各位へお知らせするようになる。

これは業務連絡という意識が大きいが、たぶん期待でもある。

今はなにかを急かさないでおこう、電話して話し相手になってやろう、あえてそっとしておこう・・・

付き合いが長くなってきた人たちには、わたしの状況に即した判断をして接してくれないかな、という期待がある。

 

でもだいたいこのあたりで途端に孤独がはじまってしまう。

みんな、わたしの日常ハッピーツイートにしかいいねしないじゃん。「だめです」ツイートはスルーかよ。

みんなが病んだらわたしは飛んでいくのに、わたしのために来てくれる人はいないんじゃん。

ああ。

 

でも本当はみんな、きちんとSOSを出せば絶対に手を差し伸べてくれる。それはわかっている。

あまのじゃくなのが悪いんだと思う。わたしって対応間違えればそっぽ向いたり噛みついたりしそうだし。

でもわたしなりにちょっとずつSOS出してんだよ。

だれか、締め切った暗い部屋の窓を鉄パイプ持って割って入ってこいよ。

 

 

谷川俊太郎がどこかで言っていた。

孤独には《人間社会内の孤独》と《自然宇宙内の孤独》がある。

これはどっちの孤独なんだろう。

 

 

 

全員尊いんだよ

昨日はとてもたのしい会があって、夜中の3時までのんでいた。

一緒にいた一人がなぜこの職場に来たのかを話す文脈で、コミュニケーションについてずっと考えていたということを話し始めたのがおもしろかった。

 

一時期ハマっていた社会学者が、人間の個性はだいたい5の3乗くらいにパターン化できて、70億人それぞれに異なる個性なんかないという持論を持っていたとかで、彼もかなり影響を受けたらしい。

10分も話せば相手の「パターン」がほとんど絞り込めて、喜ぶ言葉や接し方が分かるようになった。それで対人関係はかなり円滑になって、うまくいった。

でも段々と、自分の言葉で相手が「ハッピー」になる様を見て「こんなことでハッピーにならないでくれよ」と思うようになって、コミュニケーション自体を不毛に感じるようになり、彼の苦しみが始まった。

 

なんでなんだろうな。おもしろい。

一言目の感想は「そのスキル、ほしい」だった。

わたしは「この人に対してはどんな自分で、どんなテンションでいこうかな」と割とオーダーメイド(オーダーはされていない)に作り上げていくコミュニケーションスタイルだ。もちろん23年生きてきた中である程度のパターンはできていて、それで対応できそうな相手や比較的浅めな関係性であれば既製やそのアレンジでいけるけど。

 

彼との違いはなんだろう。

一つはパターン化の精度。わたしが感覚的にやっていることをたぶん彼はより言語化していて自動思考レベルまで仕組み化している。

もう一つは、パターン化されているのはどちらか?ということ。彼は相手のパターンを見定めることによって自分のパターンを決めているが、わたしは相手のパターン化はざっくりとするだけで、自分の側のパターンの方がバラエティ豊かだ。つまり、パターン化の比重が相手にあるか、自分にあるかの違い。

 

彼が苦しくなったのは、パターン化されたコミュニケーションそれ自体というより「個性なんかない」という考え方なんじゃないのかな。じゃあ人間ってなんなの、生きる意味とかないんじゃないのって。

わたしは生きることは前提であって生きる意味を考えるのは無駄と思ってる。でも彼もきっとそこに力点があるのではなくて、とにかく虚無感が膨らんでしまったんだろう。

もしかしたら、相手のハッピーのために思ってもない言葉を言うことも多かったのかもしれない。

彼の話をもう少しじっくり聴かないとわからないけど。哲学専攻で、わたしの知らないことをたくさん知った上での苦しみなのかもしれないけど。

 

とりあえずわたしはその社会学者があまり好きではないし、先の持論については「フン、ばかにしやがって」と反射的に思った。

個性はたしかに125パターンしかないのかもしれない。だから何?

人生で出会う人数って限られていて、一対一の深い関係になるのなんてその中の一握りだろ。125もあったら万万歳じゃん。と友だちの少ないわたしなんかは思う。

というか、個性以外にもその人の構成要素はいくつもあるのだから、組み合わせは実際には出会いきれない数なんじゃないの。

そもそもそいつの言う「個性」って何を指しているのか、きちんと押さえておかないと何を批判しても結局不毛なんだけど、彼の言葉を読んで不快になるのも面倒くさいので今はいいや。

 

まあ、わたしだって「こいつ、浅いなぁ」とか誰かに対してよく思う(感じ悪!)。

でも言葉にできることなんて限られている。人間の中には不可視な部分がずうっと広がっていると思う、誰にだって。そう思いたい。誰のこともばかにしたくない。

 

そして彼の話を聴いた先人の重い言葉。

「その人は果たして本当にハッピーになっていたのか。わかっているのは、君にはそう見えたということだけだ」

 

 

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全知全能の彼は世界のほとんどを秘密にされてるだけなのでした

(ある社会学者へ)

#tanka

アクセルとブレーキ

車校に通い始めて6日目になる。

車校の帰り道はいつも新しく交通法規をおぼえたばかりだから、急に世界の情報量が増える。みんなわたしの知らない世界で生きてたんじゃん、ずるい!と思う。仲間入りできてうれしくて、スクールバスの前方の窓からずっと交通を見ている。

 

運転しちゃいけない人間だと思ってたけど最初から結構褒められていて、運転うまいんじゃない?とか調子に乗っている。

4回目の技能教習のとき教官に「もしかして、お兄ちゃんとかいる?」と訊かれた。妹がいて長女ですと答えると、「この時点でこんなにアクセル踏む子あんまりいないから」とどうやら長子らしからぬ運転だったみたいで、自分の意外な一面に可笑しくなった。

このあいだ職場の先輩に人間関係の相談をしたら、自分に要らぬブレーキをかけすぎだと言われ「アクセルを踏む練習をしろ!」とアドバイスされたばかりだ。

人とのあいだに在るときの身体は固まってしまったりやわらかすぎたり、状態が不安定で扱いづらい。身一つでいるより車と一体化してしまったほうがうまく生きれるかもしれないとか思った。

 

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身体より車のほうが操れる車のままで生きてゆこうか

世界の約束は隠しコマンドでほんとの虹はまんまるだった(木下龍也『天才による凡人のための短歌教室』よりインスパイア)

#tanka

20220213#刺さる短歌

木下龍也『天才による凡人のための短歌教室』より

 

キスまでの途方もなさに目を閉じてあなたのはじめましてを聞いた

 
ペガサスは私にはきっと優しくてあなたのことは殺してくれる
(冬野きりん/穂村弘『短歌ください』所収)
 
 
この本を今日読み直してみて、はじめて「短歌ください」に投稿してみた。お題は「透明」。投稿ってわくわくするなー!

憶えていたいことと忘れてしまいたいこと

お弁当や毛布などを配りに夜の街を巡回しているとき、今はボランティアで来てくれている元ホームレスのおっちゃんが不意に手書きのメモを見せてくれた。

「思い出したいことは思い出せず、忘れたいことは忘れられない」

という一節とその英訳が書かれていた。
他のおっちゃんで数十カ国の外国語を勉強している(といつも自慢げに、頼みもしないのにとめどなくそれを披露してくれる)人がいて、その人に見せてみようと思って本か何かから適当に引用してきたらしい。

この一節、ちょっとぐっときてしまった。本当にそうで。

人よりも記憶が薄れるのが極度に早いという実感がある。小中高の同級生と思い出話をしてもいちいち「そんなことあったっけ?」という顔をしてしまうから、「なんにもおぼえてないね?!」とびっくりされる。嫌だった言葉は何度も何年後でも反芻できるのに、もらって嬉しかった言葉はすぐに記憶の遥か彼方に行ってしまう。
それはずっと痛くてさみしいことだった。

 

でもおっちゃんが見せてくれたあの一節は、なんだかとても愛おしく思えたのだ。
忘れたいと願うほど痛烈な出来事、それが何かも思い出せないけど思い出したい何かの手触りだけがあること。痛くてもさみしくてもそれをぜんぶ抱きしめて生きていきたい。それでいいじゃんかという気がした。

でもやっぱりできるだけ憶えていたいから、今日もこうして記録する。