3/21

明日は職場の引越しで、事務所はすでに段ボールだらけという今日に限って、受け持ちのケースで一番わたしが困っちゃっている人から電話が入った。この人はいつもこうタイミングがいいんだった。電話では言えないことみたいで、苦笑いしながら、今度はなんだろうと訪問へ向かう。気象病の頭痛が強まる。わたしはこの人に嫌われることにすっかりびびってしまっているので、上司が一緒に来てくれて正直とても心強かった。(本当は「嫌うなら嫌え、でもわたしはあなたを心配してるんだ」という姿勢でいたい。)

玄関扉が開き、リビングに座ってさて……という面持ちで「どんな感じですか。」と言うと苦笑いが返ってきて、ちょっとほっとする。

相談というのは今までもどうしようもない状況だったのにさらにどうすんねん〜〜な内容だった。事務所に帰ってしばらくはため息が止まらなかった。こういう時は一緒に頭抱えて悩むしかない。

でもこうやってもう2年以上彼女の波に一緒になって揺られていると、彼女なりの合理性やその背景を身体がわかってくるような感覚がする。頭より身体が。すると本来知るはずのなかった、一人の女性の人生の輪郭がだんだん目の前に立ち表れてくる。

生活史として生活史を聴かせてもらう方がいろんな話や本人の解釈まで深く知れるかもしれないけれど、一緒に困りながらその人を知るのはまた違ったおもしろさがある ような気もする。彼女と関わって、苦笑いっていい表情だと思うようになった。

2/25

わくわくしていることがいくつかある。何かを守るためにどんどん変わっていかなければならないという焦燥感も少しある。けれど強迫観念のようなあぶない感じはあまりなくて、やっぱり一つブレイクスルーが起きたのだと思う。ガチにならざるを得なかった。動きたくて、その先に結果として変化があるだけで。体幹ばかりが鍛わって本当は足元がおぼつかなかったのが、ちゃんと自分で立ち始めた感じがする。

2/16

ここのところ優しさというか人情のようなものが自分から消えているような気がした。これまではどんなに自分のことでしんどい時もケアワーカーとして表面上は取り繕えていた(のかなぁ)けどそれすら少し危うかったかもしれない。子どもたちに関わる仕事でもそうなっていたのが一番申し訳ない。失格。あまり自分のことを嫌いになることはないんだけどどんどん嫌になった。自分の根っこが満たされない!という思いが強くなると小さい子どものわたしが出てきて拗ねる。他人どころじゃなくなる。たぶんそんな感じ。

仕事に行ってやりきって帰るのがやっとで、ボランティアまでできるか、と小さいわたしが喚くのでたくさん休んだ。毎回運営を支えてくれている人たちから責められている気がして少し壁を作ってしまった。

けど考え直すきっかけがあって今日は頑張って参加した。しんどくなってしまう予期不安は外れ、夜の街をまわってホームレスのおじちゃんやおばちゃんと話してすごく元気になって帰ってきた。わたしの満たされなさはきっと最初から満たされることがあり得ない類のものだった。わたしはホームレスに自分を重ねている。重ねられちゃ嫌かもしれないけど。みんな違う人間だから「あなたはわたしだ」みたいなことを言いたいわけではない。ただわたしはさびしいからあの人たちに会いにいくのだ。今夜さびしいかもしれない人たちに、わたしは心を寄せていると知ってほしい。それでどうなるわけではない。「独りでいい」と言い張る(そして本気でそう思っている、彼には神がともに在るから)あのおじさんもわたしと笑い合う時間があるということでわたしは安心する。ベンチで俯いていた、今日も外で寝るというおばあさんと少し話して、「ん?よく見たらあんたかわいいね」とか言われるとうれしい。独りぼっちがそのままにされているのが嫌。わたしはこうして夜回りをすることで、人はそれぞれひとりずつで、さびしさを抱えて生きていくしかないという事実にぎりぎり耐えられるのかもしれない。

1/17

なんでも卒なくやれるようになったけど、まだまだ全然だめだめなのは障害(特に知的障害)のある人の支援だ。障害分野のベテラン(他機関)の面談に同席して痛感した。わたしは「知的障害の○○さん」として接してるけど、その人は「○○さんの障害」を推し量って理解している。同じ障害であっても、障害が人生や生活にどう立ち現れるかは人によってちがう。わたしは障害のことを理解していても、その人の世界に立とうとしていなかったこと、それは軽視であることに気づいて恥ずかしい。いつか障害分野でどっぷり働かなければわたしの信念は嘘だなと思う。

1/16

2ヶ月くらい母と距離を置いていたけど、久しぶりに実家に2泊して、腹を割って話せてよかった。妹のことについて話していると段々母の声音がヒートアップしてきて、中身は全然口論ではなかったんだけど喧嘩だと思った妹が泣いた。母はわたしと真面目な話してるといらいらしてきてしまうらしい。それってあなたが振り返るべき問題なのでは?と言ってみるとそうだねと返ってきた。たぶん母は気持ちを論理的に表現するのが苦手で、わたしはそれがちゃんと分かっていなくて、母の話をよくよく聞いてようやく根本的にはわたしと同じ方向を見ていることが判明する、みたいなことをここ数年繰り返してる気がする。ようは伝わらないもどかしさからいらつくというところもあるのだと思う。いろいろ話して、「あの父とあなたから生まれたんだからわたしたちが何もおかしくない訳ない。留年したり数年ひきこもるくらい当然」と言うとお互い笑えてきた。

 

この土日は風邪で寝込んでいて、でも治ってしまったので今日は仕事に行くつもりだった。でも朝起きた時にもちろん本調子ではなくて、なのに働く義理ねえよなあ?とわたしの中のマイキーが言ったので休んだ。最近は自分のキャパを正しく認識した上で、自分の負担をこれ以上上げないようにまだまだ暇な後輩の人にいろいろ任せるようにしてる。事務所で一人で留守番の時は仕事せずTwitterをみてる。段々さぼるのがうまくなってきた。まだ喉は痛いけど元気にはなったので明日からまた働く!そして次は絶対平日に風邪ひこうと思う。

12/11

わたしは境界線がゆるゆるだから、ケアワーカーには向いてるし向いてない。支援することの権力性が苦しい。支援者と呼ばれる人たちにも権力構造を自覚してる人はいると思うけどこんな風に気持ち悪くなってしまうのはあんまりきいたことがない。なんでこんなに感じ入りすぎてしまうんだろうと思う。ひとりでは抱えきれず9%の缶をのむ。中村佑子の文章を読むと同じくらいゆるゆるで安心する。わたしの生きづらさは留年したり労働がきつかったりたまにこういう夜があるくらいのつまみ食い程度で、所詮は大卒だし場所を選べば社会にも適応できる。注:程度を比較してはいけません。でもつまみ食いしたおかげで依存症とか精神疾患とかめちゃくちゃになるほど生きづらい人はみな自分の延長線上にいると感じる。普通に運が良くなけりゃ中退して就職先でつまずいてひきこもってる。この先だってわからない。これは自己評価が低いとかでなく、自分と付き合っていての実感。書いていてわかったけど「境界線がゆるい」ていうのは誰にでもゆるいわけじゃなく、線上にいる人にすぐつながってしまうってことだ。「社会的弱者」が馬鹿にされたり人権を軽視されたり友だちが無関心なのを目の当たりにするととえぐられる。だからこそできることがあるから抱えてやってくしかない。

 

11/21

東京駅で野生の高層ビルの群れにおそわれ、小金持ちになった同期と朝まで遊んでつくづく思ったのは資本主義ってくそほどつまらなくないですか。原因をただ一つに求めるのは科学的でないと言うかもしれないが、戦争や虐殺もほとんどの自殺も資本主義が行き過ぎた結果と言うのは大げさではないのではないでしょうか。「行き過ぎた資本主義」ではなくそもそも資本主義は行き過ぎるようにできている。殺すなと言いたい。人生の目標は自己責任「論」の根絶と家父長制解体。「好きなひとに囲まれて生きる」なんてのは目標ではなく指針である。生活保護法の「適正化」(最低生活費の適正化=引き上げ・ソーシャルワーク的運用)は絶対にやり遂げたい。ついでに派遣法(派遣会社が儲かる以外の存在意義isなに?)廃止。政権交代は手段。資本主義の高速回転を指の先っちょでちっとでも弱めて死にたい。戦争の根絶と資本主義解体は来世に引き継ぐけど諦めてるんじゃなく、今世でやらなきゃと思うとメンタルが死ぬ。世界を変えるための長い列にそっと、でもできるだけ仲間を率いて加わりたい。世界だと思うと掴みきれないけど人間の集まりなんだからなんとかなると思う。ポスト資本主義はどんなだとかはよく分からない。ただ物差しの一つでしかないはずの経済合理性が余が唯一絶対の指標であるぞみたいな顔をしてるのを引き摺り下ろしてみたいし、メンタルヘルスや自殺率や幸福度といった指標が一番に考えられる世界で生きてみたい。それが夢の国とは思わない。今のほうが地獄なだけだ。「世の中は確実に良くなっている」というファクトは知っているが、まだまだ全然こんなもんじゃないよ。まだまだみんな死にたいよ。せっかくならみんなが生きたい世界がいい。わたしは激しいのか。「思想が強い」のだろか。他者化ワードってさみしくなるよね。