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明日は職場の引越しで、事務所はすでに段ボールだらけという今日に限って、受け持ちのケースで一番わたしが困っちゃっている人から電話が入った。この人はいつもこうタイミングがいいんだった。電話では言えないことみたいで、苦笑いしながら、今度はなんだろうと訪問へ向かう。気象病の頭痛が強まる。わたしはこの人に嫌われることにすっかりびびってしまっているので、上司が一緒に来てくれて正直とても心強かった。(本当は「嫌うなら嫌え、でもわたしはあなたを心配してるんだ」という姿勢でいたい。)

玄関扉が開き、リビングに座ってさて……という面持ちで「どんな感じですか。」と言うと苦笑いが返ってきて、ちょっとほっとする。

相談というのは今までもどうしようもない状況だったのにさらにどうすんねん〜〜な内容だった。事務所に帰ってしばらくはため息が止まらなかった。こういう時は一緒に頭抱えて悩むしかない。

でもこうやってもう2年以上彼女の波に一緒になって揺られていると、彼女なりの合理性やその背景を身体がわかってくるような感覚がする。頭より身体が。すると本来知るはずのなかった、一人の女性の人生の輪郭がだんだん目の前に立ち表れてくる。

生活史として生活史を聴かせてもらう方がいろんな話や本人の解釈まで深く知れるかもしれないけれど、一緒に困りながらその人を知るのはまた違ったおもしろさがある ような気もする。彼女と関わって、苦笑いっていい表情だと思うようになった。