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受け持ちのおじいちゃんはたぶんもう長くない。

下田さん(仮名)は身寄りがなかった。出会った当初は未婚で、きょうだいもいないと聞いていた。しかし初めて自宅を訪問した時、玄関先に明らかに子ども用の傘と女性ものの傘があり、それとなく尋ねると「どこかで借りてきた」とすっとぼけた。家族がいないと通院や入院って結構大変で、お金もないのでわたしが毎回同行して、がんという検査結果もできる治療がほぼないこともすべて一緒に聞いた。1回目の入院中はコロナ対策でずっと面会ができず、転院の際に久々に再会すると、泣きそうな安堵したような表情で手を伸ばしてきて、しっかりと握手をした。そして「実は孫がいる」「会いたいけど、会ったら未練がわくから」とぽつりぽつり話し出した。人好きのする性格だけど、たぶん借金か何かやらかして、家族とは絶縁することになったのだろう。その後ある機会に役所から親族に連絡が取れたが、絶対に関わりたくないとの返答だったと聞いた。

 

退院して自宅に戻れたものの、すぐに食事が摂れなくなってしまって、5月に終末期の病棟に入院した。同室の患者さんは皆もうずっと寝たきりな様子で、時折言葉にならない声をあげていた。それに対して下田さんは、入院してからはきちんと食事を摂れるようになり、いろんな職員さんに車椅子を押してもらっては毎日売店にお菓子を買いに行っていた。年金が少ない方だったので、1日500円にしないと病院代払えなくなりますよ〜と、あくまで助言をするが、まったく守られる気配はなかった。終末期に入ると「一般的には予後3ヶ月」と聞いてはいたが、2週間に一度訪問すると、うれしそうにわたしたちを迎えてお菓子に囲まれる下田さんを見て、まだまだ全然元気だな。と思っていた。
なのに今日、2週間ぶりに訪問するとベッドの配置が変わっていて、見回すけどどれが下田さんのベッドか一瞬わからなくて、ドキっとした。下田さんはすっかり寝たきりになっていた。看護師さんに「びっくりしたでしょ。来られてないあいだにがくっと状態が落ちて」と話しかけられて、全くそんなつもりないと思うけど、ちょっと責められたような気がしてしまった。用事を済ませて「来週は誕生日のお祝いに来ますからね!」と声をかけて病室を後にした。そこまで持つのかと思いながら。もう3ヶ月が経つことに今頃気づいた。

 

わたしはひとの死を見たことがない。動いていたひとが動かなくなるということを知らない。だからしぬ前としんだ後は連続する状態だということが、まだ本当にはわかっていないんだと思う。

病室のそこかしこから飛び出す呻き声は、生理的に出た音だけでなく、明らかに「うるさいぞ」「静かに」といったような意味で聞こえることもある。動けなくても話せなくても生きてる。わたしの中で生と死がつながっていく。こわいけど受け止めるしかない。