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わたしは境界線がゆるゆるだから、ケアワーカーには向いてるし向いてない。支援することの権力性が苦しい。支援者と呼ばれる人たちにも権力構造を自覚してる人はいると思うけどこんな風に気持ち悪くなってしまうのはあんまりきいたことがない。なんでこんなに感じ入りすぎてしまうんだろうと思う。ひとりでは抱えきれず9%の缶をのむ。中村佑子の文章を読むと同じくらいゆるゆるで安心する。わたしの生きづらさは留年したり労働がきつかったりたまにこういう夜があるくらいのつまみ食い程度で、所詮は大卒だし場所を選べば社会にも適応できる。注:程度を比較してはいけません。でもつまみ食いしたおかげで依存症とか精神疾患とかめちゃくちゃになるほど生きづらい人はみな自分の延長線上にいると感じる。普通に運が良くなけりゃ中退して就職先でつまずいてひきこもってる。この先だってわからない。これは自己評価が低いとかでなく、自分と付き合っていての実感。書いていてわかったけど「境界線がゆるい」ていうのは誰にでもゆるいわけじゃなく、線上にいる人にすぐつながってしまうってことだ。「社会的弱者」が馬鹿にされたり人権を軽視されたり友だちが無関心なのを目の当たりにするととえぐられる。だからこそできることがあるから抱えてやってくしかない。