憶えていたいことと忘れてしまいたいこと

お弁当や毛布などを配りに夜の街を巡回しているとき、今はボランティアで来てくれている元ホームレスのおっちゃんが不意に手書きのメモを見せてくれた。

「思い出したいことは思い出せず、忘れたいことは忘れられない」

という一節とその英訳が書かれていた。
他のおっちゃんで数十カ国の外国語を勉強している(といつも自慢げに、頼みもしないのにとめどなくそれを披露してくれる)人がいて、その人に見せてみようと思って本か何かから適当に引用してきたらしい。

この一節、ちょっとぐっときてしまった。本当にそうで。

人よりも記憶が薄れるのが極度に早いという実感がある。小中高の同級生と思い出話をしてもいちいち「そんなことあったっけ?」という顔をしてしまうから、「なんにもおぼえてないね?!」とびっくりされる。嫌だった言葉は何度も何年後でも反芻できるのに、もらって嬉しかった言葉はすぐに記憶の遥か彼方に行ってしまう。
それはずっと痛くてさみしいことだった。

 

でもおっちゃんが見せてくれたあの一節は、なんだかとても愛おしく思えたのだ。
忘れたいと願うほど痛烈な出来事、それが何かも思い出せないけど思い出したい何かの手触りだけがあること。痛くてもさみしくてもそれをぜんぶ抱きしめて生きていきたい。それでいいじゃんかという気がした。

でもやっぱりできるだけ憶えていたいから、今日もこうして記録する。